旭川にて、五十嵐広三先生を偲ぶ会に参列。政治とは愛!

2013年06月14日 18:26

F1001672.JPG5月7日に87歳で亡くなられた旭川名誉市民の五十嵐広三先生の偲ぶ会が6月14日、旭川市の主催で執り行われ、参列いたしました。

村山富市元総理、赤松衆議院副議長はじめ国会議員、市町村長、議会議員、行政、経済界、そして旭川市民の皆様が1200席を超す市民文化会館を埋めました。(写真は衆議院議長の弔辞を読む赤松副議長)

五十嵐先生は昭和38年、若干38歳で旭川市長に初当選。時あたかも米ソ冷戦時代、社会党の市長誕生で戦々恐々。しかし、最年少の市長として、対話と参加、市民主体の「人間都市」づくりを理念に,3期11年市長を務められた。

その業績は今の旭川を見れば本当に大きいことが分かる。「全国初の恒久的歩行者天国の買物公園」(40周年になる)、「旭山動物園」、「国立旭川医科大学の誘致」や「旭川大学の再建、東海大学の誘致」で研究学園都市をめざす。また「物流の拠点としての旭川の経済を活性化」。

また国に先駆けての義務教育からはじき出され学校に通うことのできなかった障害児たちの「在宅訪問学級」も旭川から発した。まさに人間優先の地方自治をリードしてきた市長時代の業績は大きい。

そして昭和55年から平成8年まで衆議院議員として5期16年。細川内閣では建設大臣、村山内閣では官房長官を務められた。その間、原爆被害者救済法、水俣救済法、アイヌ新法等々、の取り組みや弱者に目を向けた政治姿勢には今なお教えられる。地方分権の推進もそうであります。

しみじみ五十嵐先生の歩まれた時代と政治状況を顧みるに、昨今の君たちはいったい何をしているのか!とご叱責を頂いたような気持になる。北海道の産んだ巨星がまたひとつ落ちた。

 

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