復興の熱い日々。被災地4回目の夏を歩く=大槌町。

2014年08月04日 10:25

ひょうたん島碇川ちょうちょう大槌役場大槌小学校7月最終週、猛暑の中、岩手の被災地大槌町に。

大槌町大槌町は、津波の後、街が火災で全焼した。町民が避難した高台まで火が延焼するくらいのすさまじい状況だった。町長さんをはじめ役場職員(幹部職が多かった)の3分の一が亡くなり、副町長さんの陣頭指揮で直後の避難や物資、仮設など住民の生存に必要な様々な対応を余儀なくされ、その後の復旧、復興にも大きな困難を抱えた町であった。わたしは被災直後に訪れたが、その時の壊滅状態の町の光景の衝撃は、一生忘れることはないだろう。

碇川。鈴木t28年間もこの大槌町の保健師だった(自分の家も,親戚の方も津波で流された)旧友の鈴木るり子岩手短大教授が先頭に立ち、全国の保健師を駆り出しての全戸訪問による安否確認や健康調査など、この町に係った多くの人たちの必死の努力とその顔が、今もしっかりと目に浮かぶ。

その被災後5か月の町長選挙で選出され、困難と立ち向かわれている碇川豊町長さんと懇談。

住民16000人の町が12000人になったというが、流出が止まらないので1万人を切っている?という。町長室にはあの「ひよっこりひょうたん島」にかかった、まるで神の恩寵のような美しい虹のポスターが,希望の象徴のように飾られている。

さて、町内を歩くと、漁の再開や水産加工業の再開など活気も出てきているし、役場も小学校跡を改築して整えられた。土地の嵩あげ工事も進んでいるが、大槌小学校の津波から残った体育館の壁に表示された盛り土の高さをみると、そこに届くのには前途は遠いという感もする。旧役場は遺構として残すということで、あの時のままの姿で時が止まっている。

仮設住宅を訪問。仮設住宅のなかにあるサポートセンターには10数名の高齢者が寄っていて、楽しそうに午後のお茶を飲んでいるところだったが、「仮設の生活はお困りでしょう。何が一番大変ですか?なんて来た人はみな言うけど、何百回もこっちは答えてもいるのに何にも解決してくれない!」と、一人の女性に声高に言われる。当事者の切実な声!しっかり受け止めるべきだろう。このサポートセンター、私も現職だったとき、視察後に主張して、介護保険を先取りして制度にのせ予算化したものだが、こうして成果を発揮して、見守りと安心を提供しているようで、仮設を巡回する支援員の活動とともに、孤独死などはゼロという。コミュニテイのちからを感じる。

さて、この町の在宅ケアを支える小規模多機能・複合型施設が町内に欲しい、最後の時まで、看取りまで、地域でしっかり高齢者を支えたいと、先の鈴木さんはじめ役場を退職した女三人が「一般社団法人 おおつちいきいきハウス」を立ち上げた。土地の提供を受けて、小規模多機能、24時間訪問看護等を併設した高齢者アパート構想を実現すべく、これから活動する。 町長さんも永田町で霞が関の皆さんに現場の状況のレクをしてきたというが、在宅で住み慣れたところで最後まで暮らせる大槌にしたいという。大槌の復興が、人口減少・超高齢化の我が国の先端を行く「モデル」になるような発信ができるといいですねと、町長さんと意気投合したことでもありました。

それにしてもここでも東京オリンピック決定後の工事資材や人材不足・高騰を訴えられる。大槌町でも小中一貫校の新設工事で入札をしたが、72社のゼネコン等に呼び掛けたが、実際に入札に応じたのは1社。それも価格が折り合わず、現在も決定していないという状況である。

この問題、復興にブレーキをかけている。国の関与がもう少しあっても然るべきではないだろうか?

 

 

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