高野山開創1200年記念に、時空をこえた空海詣での旅

2015年05月01日 15:41

高野山金堂ご入場2松永管長ご入場③金剛峯寺高野山奥の院 石庭宿坊の朝食4月16日から2泊3日で、念願の春爛漫の高野山に詣でました。今年は弘法大師空海上人が開創して1200年とあって、1200年間一度も御開帳されたことのない壇上伽藍・金堂のご本尊が特別開帳とあって心高鳴らせながら新幹線に乗った次第。宿坊に泊り、精進料理を頂き、早朝の祈りをささげ、しばし俗世界を離れて、お山の霊気とエネルギーを頂いたことでした。

高野山は816年に空海上人が真言密教の根本道場として定め、国の平和、国民の平穏な暮らしを伝え、また自らの入定の地金堂にてとして開創したという。

聖も俗も、どの宗派でも,どんな階層でも受け入れるという、今でいうなら「ダイバーシテイ」の思想か?人々に安息の地、一大仏都を提供した。その力たるや推し測ることができない。

その空海上人は今も奥の院におられ、朝夕、僧侶たちによって御膳が運ばれる。たしかに奥の院の弘法大師御廟、英霊殿、燈籠堂に入ると、薄暗く、そこに大師がおられるかのような錯覚を覚えるのもさもありなん、という”気”を感じる。

さて、総本堂たる金堂で、1200年ぶりの御開帳となるご本尊を拝見し、やや興奮しているところへ、伽藍の正門である中門から緋の衣の中西啓寶管長さまが僧侶の列とともにお入りになるところに遭遇! まあ、普段のわたくしには考えられないことですが、身震いするような感動におそわれたのも、高野山の異次元のアトモスフェアのせいでしょうか?この日の朝の法会は北海道の支部の信者さんたち600人の法会とか。これもまた、何ともご縁を頂きますね。

また高野山内の国宝はじめ文化遺産を一括して保存・展示している霊宝館では、1200年記念で高野山の御神宝を一挙公開! 運慶による国宝の八大童子立像は見事! また孔雀が大きく羽を広げた上に乗る明王の孔雀明王像にも感動の御対面となったが、神秘的だったのは梵字懸仏や地蔵菩薩坐像、鏡類といった御神宝。年配の、お山の僧侶の方も(初公開ですから)興味深げにご覧になっておられた!

しかし、なんといっても一番の見ものは、弘法大師空海その人の直筆・ 国宝の【聾瞽指帰 ろうこしいき】だろう。 797年、空海23歳の時の書簡である。空海の若く、力強い、その筆跡(漢字)からは、知性と情熱があふれ、両親や周囲の人々に、いわば<エリート官吏として歩んでいる今を、自分を捨て、唐に渡り、密教に帰依したい>という真摯な説得の気持ちが伝わるようで、時間を忘れて見とれてしまった。1200年と言う時間を越えての、保存の良さも見事と言うしかない。

この7年後(30歳)、空海は遣唐使に従い唐へ。青龍寺恵果阿闍梨より密教の正統を継承し、2年という前代未聞のスピードで帰朝。その10年後には高野山の下賜を嵯峨天皇より勅許されている。政治と宗教が密接だった時代の幸運児と言えるのかもしれない。835年3月21日、61歳で奥の院に入定しているが、今も朝夕の御膳を運ぶ僧侶たちの姿があり、この1200年間、数多の信者を支えてきている。高野山総本山では全国と海外に4千の末寺を持ち、信徒の数は壱千万人という。

奇跡?は霊宝館を出たところで起きた! すれ違った人ごみから、「山崎先生!」と声をかけられたのである。なんと、数日前に学会誌で名前を拝見して、「どうしてらっしゃるかしら?」と思い浮かべていたその方が目の前に! ご利益はすぐ起きる?

しばし浮世を離れて、歴史と文化遺産に浸りながら、お山のエネルギーとパワーを頂いた時間でありました。

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