沖縄戦70年の慰霊の日、長編ドキュメント映画【沖縄 うりずんの雨】を観る。

2015年06月24日 10:46

20150624_073543ユンカーマン監督と

【うりずんの雨 血の雨 涙の雨 礎の魂を呼び起こす雨】

この映画の英語版の題名は「The after burn」 炎が消えた後でも火傷が深くなる。精神医学でいう言葉だそうで、「トラウマの原因を解消しない限り傷は深くなるという意味。

「みなさんは沖縄戦の事をどれだけ知っていますか?」

「1853年、江戸時代のペリー来航、その時ペリーは沖縄はアジア(侵略)に向けた「好位置の島」と欲しがったということを知ってましたか?それは92年後、1945年に実るのですが。」

「終戦間際の1945年4月1日から6月23日までの激しい地上戦で、県民の4人に一人が亡くなったことを知ってましたか?大きな戦車に爆弾をしょって自爆する兵士が一人で立ち向かった戦いを。」

「世界最大の米軍基地オキナワを拠点に、朝鮮、ベトナム、中東の戦争をしたことは知ってましたか?」

6月23日は終戦末期の沖縄戦の犠牲者を悼む「慰霊の日」、今年で70年を迎える。今年の「慰霊の日」はことさら大きな意味を持つ。まさに国会で、戦争に向かうかのような安保法制が議論されている最中であるからだ。

最後の激戦地、沖縄本島南部の糸満・摩文仁で追悼式が開催されたが、この日、翁長知事は平和宣言で、県民の総意だとして基地の辺野古移転への反対を訴え、一方、安倍総理は、今後も引き続き基地の負担軽減に尽くすとだけ述べ、ブーイングを受けたとニュースが報じる。

翁長知事は、「私たちの郷土沖縄では,史上稀にみる熾烈な地上戦が行われ、20万人近い命が奪われた悲しみを永遠に忘れることができない。それは沖縄県民がその目や耳、肌に戦のもたらす悲惨さを鮮明に記憶しているからである」と述べている。本当にそうだと思う。沖縄以外の本土は「戦場」にはなっていないからだ。

その「沖縄戦の実像と戦後から今日までを」記録したドキュメント【沖縄 うりずんの雨】が公開された。2時間30分もの長尺だが、ずしりと心に響く、時宜を得た記録映画!以前、地元の方に案内されたガマで、残されている亡くなった方の白骨に手を合わせたことなど思い出しながら、沖縄の慰霊を祈念して観賞した。また終了後はジャン・ユンカーマン監督のトークもあり、その後、短い会話をした次第。

1945年4月1日アメリカ軍が沖縄本島に上陸。6月23日までの12週間の地上戦で県民の4人に一人が亡くなった。つまり身内に戦死者のいない家族がないということだろう。私たちに想像もつかない辛苦の戦争体験をした沖縄のみなさんが一貫して戦争を拒絶してきたが、それが本土復帰という形の中でも基地と共存しなければならないというさらなる苦痛。

映画は、米国国立公文書館所蔵の米軍による地上戦の記録を随所に流し、生々しい戦争を私たちの前に再現させる。私たちはあの泥沼のベトナム戦争の生々しさの映像は嫌というほど目にしたが、沖縄戦の光景をどのくらい見ているだろうか?

カメラの前で証言するのは90歳を超える日米の兵士たち。生き延びた市民のみなさん。実際の経験者が語り、現実の理解を促し、戦後のアメリカ占領から復帰してもなお基地の負担を日米双方から押し付けられている沖縄の存在が良く解る。

昭和47年(1972年)、本土復帰をするが、日本復帰をしたいと思ったというある僧侶はいう。「日本の憲法、日本の不戦、日本が軍隊を持たないこと、本当に素晴らしいと思っていた。戦争が終わっても米軍の占領下にある不条理の中で、日本復帰を歓迎した」。

日本復帰か、信託統治か、独立かと、県民が揺れる中で、1955年の「幼女がレイプされて殺される」米兵による残酷な事件が起き、治外法権で裁けなかった無権利状態から抜け出すには憲法が必要だったと。

本土復帰の後も沖縄に押し付けられた基地の負担は県民を苦しめる。その差別的状況と抑圧と戦うみなさんを語り手にするが、この70年間の性暴力も取り上げないと語ったことに名ならないと、圧巻は、95年の少女レイプ事件の加害者である元米兵のインタビューを流す。沖縄の戦後の中でも女性がいかに虐げられてきたかという女性の視点を入れたかったというのが監督の言である。

戦後70年、沖縄の問いかけるものをしっかり受け止めたいと思う。お薦めの映画です。

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